忍耐・我慢、嫌なもんは嫌!でも・・・①

IBDの暮らしと健康
IBDの暮らしと健康
この記事は約6分で読めます。

『忍耐・我慢、嫌なもんは嫌!でも・・・①』

頭ではわかっていても、辛いもんは辛いし嫌なもんは嫌だし。慣れないし受け入れられない。そうした気持ちを変えていくには?

頭でわかりきっていること、言われるまでもないことを、そんなようなことをあえて列挙し、病態を改善するためにやっているのだということを再認識し、気持ちを変えていくために必要なことを知ってほしいと思い、そんなお話を二回に分けてしていきます。

※ちょっと漠然としていますが、あくまでも私個人の体験から思うことです。

一回目のこの記事では、嫌なことを列挙をしていくので、読んでいて「そんなことわかってるよ!」って苛立ってしまうかもしれません。

ですがこれはあえてのことなので、次回と併せて読んでいただけたら幸いです。

 

病は気から

闘病生活において、とりわけ入院生活では我慢しなければならないことが多いですよね。

これはIBDに限ったことでなく、どんな病気でも同じかと思います。

しかし、IBDの場合、我慢することに慣れなければならないと私は思っています。というより我慢しようとしてするのではなく、頑張らなくても自然としていられるメンタルを養う必要がある、という感覚ですね。

なんでそんな修行みたいなことが必要か?

それは、『ストレスが一番の増悪因子』だからです。

一生涯付き合っていく難病に対し、一喜一憂したり、辛い辛いと悶々とし続けることは、付き合い方として望ましいとはいえません。これもIBDに限ってことではありませんね。

治療とは、前向き、積極的であったほうが治療効果も高いのです。

消極的な気構えですと治療効果は下がってしまいます。

『病は気から』は、気のせいではありません。

では、多く方は主にどんなことに抵抗があるか、受け入れ難いか、辛いか、いくつか例に挙げて再認識してみてみたいと思います。

 

通院すること自体が嫌

病院とは縁遠いほうが良いに決まってます。縁遠いということは健康な証拠ですから。

ですが私たちは病院とは切っても切れない関係です。

そして病院と医師をはじめ医療に携わる方には心身と命を預け、悪い状態から回復させてもらっているのです。

現代医療がなければ命さえ危うい病。

病院を悪く思うのことは、やめてみませんか?

命を助けてくれているのですから。

 

薬を飲み続けるのが嫌

病院と同じように私たちは薬を離脱することができません。それは根治できない病だからです。

薬を飲み続けることに、将来的な不安を抱えている方もおりますね。

「飲み続けたら将来どんな副作用があるだろう?」

そう考え、薬を辞めたいと思っている方が少なくなく、辞めようと試みている方々も見聞きします。辞めたという話も聞きます。

『寛解したら離脱する』、という考えでしたり、『食事だけでのコントロールをする』と医師に告げて実際に薬を辞めてしまったり。

そういった方々がこれから先どうなるか、それは神のみぞ知るところですが、正直なところリスクしかないと私は思います。

薬を辞めたい、その気持ちはよくわかります。確かに、20年30年後どうなるか、ハッキリとわかっていないものもありますから。

ですが、『今』を生きのびなければ『20年30年後』はやってこないのです。

完璧な薬はありません。そこに不安が残ること自体は仕方ありませんが、最新の薬でさえ根治はおろか病気の完全なコントロールができないのが現実です。

薬を辞めることはあまりにもナンセンスです。

 

入院するのが嫌

入院すると、絶食になったり、点滴したり、大掛かりな検査があったり、悪い場合は手術になったり、そりゃあ良い記憶があるはずもありません。

だから入院したくない、また、早く退院したい早く退院したい。そう強く願う方も少なくありません。

しかし、もし入院しなかったらどうなるでしょう?

ひたすら悪化の一途で、最悪、腹膜炎や髄膜炎などで死んでしまいます。

実際、私の母の友人でクローン病の方がおりまして、治療が嫌で入院が嫌で、粘って粘って、避けて避けていたら髄膜炎で亡くなってしまいました。

※ことことを知ったのは私が確定診断してからです。母が「もうずいぶん前だけど私の友達に、いた。たしかクローン病っていってた」、と。

死なない病気と思っていると本当に恐ろしいです。

『病院とは、治療をするところ』

入院生活は確かに嫌な思いをすることが多いですが、何のために入院しているのかを、一度立ち止まって考えてみてください。

『悪い今より良くするために入院している』のです。

 

点滴で針刺されるのが嫌

どうしたって不可避です。点滴しなければ栄養もとれませんし病態も悪化します。

誰だって好き好んで注されているわけではありませんが、治療なんですから、受け入れましょう。

やはり何のために点滴しているのか、考えてみてください。

『悪い今より良くするために点滴している』のです。

また、抹消静脈のルートをなかなか取れず、何度も注されることもしばしばあります。

そのことに、医師や看護師や臨床検査技師に怒る方も院内でしばしば目にします。

痛いのですから、気持ちはわかります。

ですが、医療に完璧はないのです。

患者さん一人一人筋肉も血管も異なります。

深いところを通っていたり、浅いところを通っていたり、弾力が強すぎたり、血管壁が脆かったり、弁が近くにあったり、血管が折れ曲がっていたり。

1日に何十人とやっていても、難しいものは難しいのです。

患者である私たち素人には、本当の意味で上手いか下手かなんて、判断はできないはずです。

たとえば

「いくつかのお薬を試してみましょう」

と提案され、服用をはじめたとして、なかなか効果がでなかったして、

「効かねぇじゃねぇかコノヤロー!!嘘つきやがってこのヤブが!!」

と激怒しますか?

激怒しても仕方ありません、模索中なんですから。やってみなければわからないことだって医療にはあります。

同じように点滴1つとってしても、100%はないのです。

一発で上手くいかなかったとしても、怒らないでください。

怒っても治療に変化は何もありません。

 

食事制限や絶食が嫌

これもまた、そりゃそうです。当たり前ですよね。人間の三大欲求の1つですから、とりわけ嫌レベルが高いことでしょう。

しかしやはり仕方ありません。そういう病気ですから。治療の為には、良くなるためには必要なことですから。

食事は栄養だけでなく生きる活力。これは紛うことない事実です。

良くなって食べられるようになるために、今絶食しているのです。

ここで絶えなければ一生食べられなくなってしまいます。

 

まとめ

はい、といった具合に、言われなくてもわかってることを列挙しました。

わかってても辛いものは辛い。

ではどうしたらこれらを受け入れられるようなるか。

気持ちの変容のための肝のようなもの、きくらげメソッドといえるかもしれない個人の考え方を、次回お話したいと思います。

どうぞ併せて読んでみてください。

 

カテゴリー『IBDの暮らしと健康』はコチラ↓

IBDの暮らしと健康

コメント

タイトルとURLをコピーしました