『普通』ってなんだ?きくらげメソッド
このカテゴリの記事に沿っているかどうか怪しいものではありますが、私たちはしばしば健常者から心ない言葉をかけられることがあり、何年経ってもいつになっても理解が得られず、どうしても精神的な苦痛を強いられ続ける傾向にありますね。
ですので、精神衛生ということでこのカテゴリに載せることにしました。
今回は常々思っている『言葉の暴力』について、私なりの見解をお話したいと思います。
近年、非常に多くの方たちが『普通』という言葉を乱用しすぎていると私は感じています。
私個人は『普通』という言葉をあまり好みません。私のブログの記事でも『普通』という表現はほとんど見かけないかと思います。
それは、普通という言葉は本来、使い所が限定されている言葉だから、です。
しかし、世の中そうでもありません。言葉の意味を理解せず、限定せず、乱用し、そして乱用のしすぎによって大小様々な問題が頻発し、多くの人が心を痛め、「普通じゃない」と否定され続けました結果として最悪の場合は自殺にまで追い込んでしまうことさえ起こり得ますよね。
大きな問題です。
人死にがでるほどの自体に、国としても歯止めをかけるべく対策をしていますが、学校や会社、ニュース等で目の当たりにしているにも関わらず、変化していかない、新しく変わっていく社会に適応しようとしていない、そういう方たちが目立つように感じます。
どうしてなかなか変化に適応できないのかといいますと、私が思うに『誤りを認めたくないから』、なのかなと思います。
改善されるというのは、悪い所を良い形へ修正するということ。
つまり、これまで問題なかったことが問題視された、これまでやってきたことは悪いことだったんだ、それが受け入れられない。
だから、『言葉選び』の意識が低いまま。変えようとする意識が低くなる。
とりわけ今回のお話のメインである『普通』という言葉に、なんの疑問も持っていない。
『普通』という言葉が『悪いこと』なわけがない、そう思い込んでいるから。
『普通』という言葉は時と場合によっては、人を死に追いやることさえある言葉か、もしくは『死』という言葉のそのものと同水準の暴言になるということを、お話します。
※きくらげの主観による持論です。きくらげメソッド
さて、前置きが長くなりましたが、
『普通』とは、辞書によりますと、
- 特に変わっていないこと、ごくありふれていること、当たり前のこと、
- たいていに、通常、一般的なこと、
- また、『に』を伴って俗に「普通においしい」、「普通におもしろかった」のように、『称賛するほどではないが期待以上の結果だったという意味合い』で、肯定的な表現と組み合わせて2000年代から用いられるようになった。
だ、そうです。
勉強であれば及第点や平均点あたり、健康状態であれば病気もなく体重も肥満でも痩せでもなく安定している状態、それが『普通』といえる、といったところでしょうか。
私たちIBDは、難病であり、人によっては人工肛門であったり短腸症候群であったりして障害者でもあったりします。
そのため、私たちは健康状態に関していえば『普通』ではありません。健常な身体ではありませんからね。
こうした基準が明確にわかるものに対しては『普通』という言葉は適切に使うことができますが、
しかして、日常社会においては不適切な場面のほうが圧倒的に多いと私個人は日々感じています。
辞書の通り、『に』を伴うことによって多様な場面で用いられますが(普通に、のように)、この場合の『普通に』はその方の主観に過ぎない、あくまでも個人の感想に留まっています。
しかし、にも関わらず主観に過ぎない個人の感想の範疇であるはずの『普通』を、まるで『社会の常識』のように決め付け、他者に強い、求める傾向が強いように感じます。
ハッキリいってただの押し付け、傲慢ですね。
たとえば
『目玉焼きには何をかけて食べますか?』という問いに、
「普通、醤油だろ!」と答える方が多い(と思っている人が多い)のですが、実際にはどれくらいの方が醤油派なのか、あるメディアが行った調査では50%程度しかいないそうです。
次ぐ2位に塩コショウ、そしてその他ケチャップ、マヨネーズといった方もいるそうです。
二人に一人の醤油派、仮にそのメディアの調査が正しかったと仮定すると、
50%というのは多くの人、たいてい、一般的、普通といえる数値でしょうか?
判断が難しいところですよね?
食べ合わせるものが、主食がご飯なら和食ということで醤油が相性は良いかと思われますが、パンならケチャップでもおかしくはないし、サラダだけならマヨネーズというのも頷けます。
個人個人で違った趣向がある中で、『普通』という基準を設けることは本来難しいです。
簡単に、「普通は◯◯だ」とは口にできないはずのこと。
『普通』というのを本来の意味のたいてい、通常、一般的、常識的という意味で解釈するのなら、
統計学的に70%を超えていなければ常識的とはいえないですよね。普通とはいえないはずです。
でもたいていのことは正確な統計なんて知りません。知らないけど予想や憶測、思い込みで正確なことがわからないのに基準を勝手に作りがちです。
その基準があくまでの自分の中では、自分にとっては、自分だけの範疇であれば何も問題はないでしょう。個人の考え方はそれぞれですから。
しかし、それは一般的であったり、常識的とは必ずしもいえないはずのことです。個人の基準に過ぎないことなのに、「普通は◯◯だ!」と他者に言い押し付けるのは、おかしなことです。
度が過ぎると、貴方は世界の中心で貴方が法ですか?と感じることもあります。
また、少し角度を変えますが、私は栄養士の学校で『美味しいに定義はない』と教わりました。
これはどういうことかといいますと、
どれだけ高級な料理でも、プラスチックや紙の使い捨てのお皿て食べたらどうだろう?
どれだけ真心こもった料理でも、トイレで1人で食べたらどうだろう?
薄暗い部屋と明るい部屋、どっちのほうが美味しく思うだろう?
美味しいとは、『美味しいと感じる』個人の主観に過ぎないわけです。
個人個人の好みによる差異も勿論ありますが、場所や明るさといった環境、料理の器や盛り付け、食事のときの雰囲気、様々な要素が絡みあって美味しさを感じるので、そこにも大きな違いが生じます。
高級料理だからといって必ずしも美味しいと感じるとは限らない、ということです。
そのため、栄養士はそうした環境などの要素も加味し、比較的多くの人たちが美味しいと感じるであろう及第点となる味付けや盛り付けを考案し、レシピを作ります。
レシピとは、『普通』といえる『標準的なマニュアル』というわけです。
多くの方たちが『普通に美味しいと感じるであろうと考えられるレシピ』、ですね。
さて、『普通』という言葉の乱用によって大きな問題が生じることがある、というお話なのですが、
近年、『ハラスメント』が大きな社会問題となっていますよね。
とりわけ雇用、労働職場におけるパワハラ問題が注目を集めていますが、『パワハラ防止法』が施行され事業はどこもピリピリとしています。
これは、事業主にパワハラ防止の措置を義務付ける法律であり、正式名称は、労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律です。
通常は、労働施策総合推進法と略称されますが、『パワハラ防止法』とも呼ばれています。
法律であり、防止・対策の義務があるため、どこも神経質になっており、従業員たちの日頃の言葉使い、言葉選び、言動に厳しく目を光らせて取り締まり、指導をしはじめています。
しかし世の中の問題はパワハラだけに限らず、モラハラやセクハラなどたくさんありますね。
そもそも、『ハラスメント(Harassment)』とは、相手の意に反する行為によって不快にさせたり、相手の人間としての尊厳を傷づけたり、脅したりすること。
いわば『いじめ』『嫌がらせ』と『同等の意味をもつ行為』だそうです。
そのため、たとえ、相手を傷つける、いじめる、という意図がなくても、相手が不快な感情を抱けばハラスメントは成立します。
どんなものであれ、相手を傷つける行為はやってはいけない、ということです。それこそ、当たり前のことで普通のことですよね。常識であり社会のルールです。
こうしたハラスメントは雇用、労働職場というシチュエーションに限らず、学校や家庭、SNSでも許されない行為です。
昔は、会社では「働かせてもらえるだけありがたいと思え!」なんて常套句があったり、どんな理不尽なことがあっても泣き寝入りが常識でした。悪い常識ですね。
私が社会人デビューした当時でもまだそういった傾向がありました。
「バカ!」とか、「使えねぇやつだな!」とか、「親の顔が見てみてぇ!」とかザラで、それでも反発しちゃいけない、それが『謙虚さ』だ、なんてとんでもない常識でした。
でもじゃあ、女性が胸やお尻を触られたり、あるいは最悪、強姦されたりとかしたら?それでも泣き寝入りするべき?
んなわけあってたまりますか!ですよね。
言葉の暴力というのは、こうした性的暴行となんら変わらない水準の悪行で犯罪なんですよね。現代では。
だからこれを改善していこう、そう国が大きく動き始めているのです。
つまり、常識はもう変わっている。
国のルールが変わったのだからルールに則るのは国民一人一人の義務であり、もはやその新ルールは常識なのです。この改善していこうという新ルールこそが『普通』なのです。
にも関わらず、話を戻して日常的に安易に用いられる『普通』という言葉を用いたハラスメント。
どうして『普通』がハラスメントになるの?
というと、たとえば、
『普通は◯◯だろう!!なんでそれがわからないだ!?』
家庭でも学校でも職場でも、まだまだ見聞ききする言葉です。
これのなにがハラスメントかというと、この言葉は、
『これがわからないお前は普通ではない、異常だ』
と同義だからです。
こうした表現は『人格否定表現』に該当し、言葉の暴力です。
人格否定など、人間としての尊厳を大きく傷つける中傷、『しね!』に次ぐ暴力で暴言で罵倒です。
こうした人格否定表現は、目下、事業でも厳しく取り締まりを実行中です。(まだあまり改善されていない実態)
言葉の暴力も殴るなど身体に伴う物理的な暴力とまったく同じく、紛うことない悪であり罪であり、決して許されない行為です。
具体的に法律にとしては、
- 事実を摘示せずに、公然と、人を侮辱した場合に【侮辱罪】(刑法231条)が成立します。
- 事実の適示をした暴言により相手の名誉を傷つけると、【名誉毀損罪】が成立します(刑法230条)。
- また、言葉の暴力によって相手がうつ病を発症したり、体調を崩してしまった場合、【傷害罪】(刑法204条)が成立する可能性があります。
- さらに、怒鳴ることで【暴行罪】が成立することがあります。
- そして、怒鳴った際の発言内容が害悪の告知に該当する場合は【脅迫罪】が成立することもあります。
- また、怒鳴ることで【業務妨害罪】等の罪に問われることもあります。
となっています。私は勿論専門家ではないですが、これは弁護士とかのサイトを調べ、抜粋してコピペしてるので私個人の主観ではありません。
これらの法律から、先に例に挙げた
『普通◯◯だろ!?なんでわからねぇんだ!!(なんでできねぇんだ!!)』
→侮辱罪、名誉毀損罪、暴行罪
『たいがいにしねぇとマジでキレるぞ!!』
→脅迫罪
これらの発言によって精神症になったり仕事や日常生活に支障がでたら、
傷害罪、業務妨害罪
に該当する(可能性がある)というのがわかるかと思います。
日常、なにげなく使っている普通という言葉、こうして少し例に挙げるだけでも、不適切に用いられているということがわかるかと思います。
『普通』の決め付けと他者への押し付け。これは誰もが安易にやってはいけないことと思います。
それに、私たちのように健康状態が普通ではないとわかっていたとしても、それが事実だとしても、
「おまえは普通じゃない」、「おまえはおかしい」、「おまえは異常だ」
なんて言われたら、傷つきますよね。
たとえ事実だったとしても、言って良いことと悪いことがあります。名誉毀損罪。
『事実』というものは人の感情が介在する余地もなく、ありのまま、確定されてる事象です。
しかし、『決め付け』は、その判断に至るまでの過程があり、判断そのものも個人の主観です。人によって変わることもあります。果たしてその判断は正しいのか。
法によってその判断が適切であったか否か精査することはできます。しかし、法でもわからないことを人は安易に決め付けます。
そんな決め付けなんか、神でもなければ正しく判断できませんよね。
『普通』という言葉そのものが悪いわけではありません。辞書の通りの意味で用いることに間違いはありません。
しかし、使い方を誤ってしまえば言葉の暴力にだってなる、ということです。
・基準に対して満たしているかそうでないか、そこから見える普通という言葉の使い方、
・普通に、のように個人の感想として無難な答えをする場合、
そうした使い方に間違いはありません。
・主観としての「普通に◯◯だね」は言葉通りの個人の感想の意味になりますが、
「普通は◯◯だ」は、意味がまったく違います。
普通という基準の決め付けと押し付けになります。
『普通は』は、本来、限られた場合でしか適切ではないのです。
ですから私は成績や健康状態、あるいは統計的に多くの人が集まっていると知っている事柄など、明確にわかっていることにしか『普通』という言葉を使わないように心がけています。
これはこうした社会問題になる以前から、私が普通という言葉に大きな疑問を抱いていおり、かねてより気をつけていたことです。
なので、こうして社会問題になって、「あぁ、やっぱりな。思った通り、こういう結果になった」というのが実直な感想です。
私の疑問は間違っていなかった。
勿論、私も100%いつも正しく言葉を使えてるかといえば、決してそんなことはありません。浅慮だったりして失言することだってあります。
ですが、言葉使いや言葉選びに気をつけよう、そうした意識が何よりも大切なことと思います。その意識がないと変わるものも変わりません。
そして、自分が用いるときにだけ気を付けるのではなく、言われたとき、言われた側としての意識も重要なことです。
不適切に言われた場合、発言の撤回を求めるアプローチをしていくことも大切です。
そうでなければ相手は過ちに気付きません。ハラスメントの防止や対策は個人一人一人も心がけなければならないことです。
悪いことは悪いと言う、その勇気を持ちましょう。
とはいえ、社会的地位の保身もあります。簡単には声にできませんよね。だから身近な相談できる相手というのが必要です。
もし、そんな間柄の人がいなくとも、匿名で相談できる窓口はあります。
自助、共助、公助。社会全体で取り組んでいかなければならない課題ですね。
そしてここも重要なことで、『普通という言葉に振り回されない』こと。
・みんなが「普通は」、「普通は」、というから、そうしなければならない?
そんなことはありません。ルールであれば秩序のために守らなければなりませんが、ルールでないことなら個人の自由です。
思想も好みも価値観もなにもかもが個人の自由で、互いに尊重し合わなければならないことです。
たとえ普通ではない気持ち、考え方、やり方、であったとしても、必ずしも悪に直結するわけではありません。
大成功してる方たちだって普通ではないやり方で成り上がったりしていますしね。
・社会人として成績、成果、社会貢献が不十分で『普通』とはいえない場合は努力する必要はあることでしょう。
しかし、普通に達していないからといって『無価値』ということは決してありません。
価値の有無はまったくの別の議題ですし、そもそも『人間の価値とはなんぞや?』わかるべくもありません。なにより人間の価値を無価値などと決め付ける行為は誰にも認められていません。
・難病があるからといって、福祉の援助を受けているからといって、普通ではないからといって、社会のお荷物などと感じる必要もありません。
税金払ってるんですから国民みんなお互い様、みんなで支えあっているのですし、それが国是なのですから、何一つ恥じる必要もありません。
普通という言葉に振り回され、普通でないからと自分を卑下するようなことは、してはいけません。
先に挙げたように、同調圧力が強く、普通ではないと即!人格否定をされるような悪しき風潮の強い日本で、その言葉の暴力を常に向けられ、自尊心が傷付き、卑屈になってしまう方が少なくありません。
私も一人の難病者として、普通という暴力に曝されてきましたし、傷付いてる方たちの気持ちをある程度は察することはできます。
しかし、真には理解はできませんし、わかりかねます。個人の気持ちはその人しか持ち得ないものですから、他人にはすべてはわかりかねます。
ですが、それでも尚、自分を卑下しないでほしいと思います。
認めて支えてくれている人は、きっと側にいるはずですから。
ただ卑下していても、状況は何も変わらないのです。
さて、誰も彼も私も、
・『普通は◯◯』と普段使っている方、それは本当に『普通なこと』なのですか?
・『普通は、』を避け、たとえば「多くの場合は」、「平均値としては」、「標準的には」、そうした適当と思われる言葉に置き換えていきませんか?
・目安がわからないものは、
「個人的には」ですとか、「あくまでも個人の主観だけれども」、「恐らくだけど」という言葉選びはできませんか?
・不確かな事柄に対し、
「普通◯◯だ」と、「普通は◯◯だと私は思う」とでは意味が違います。
前者は決め付け、後者は個人の予想です。
そうした使い方、使い分け、に慎重さを持って発言することが今の常識です。
普通かそうでないか、不確定な事柄を一個人が一個人の主観で判断したり、決め付けたり、また優劣をつけたり、場合によってはその延長線で人格否定したり、押し付けたり、ハラスメントに該当する行為はしていませんか?
ハラスメントは今はご法度です。
知らず知らず、気付かぬところで誰かを傷付けてはいませんか?
いつも自分はどうしてるかな?振り返って見直していきましょう。
普通という言葉に限らず、汎用な言葉で多くの場面で用いすぎている傾向も強いですよね。
『ヤバい』ですとかその最たるものかと。良いことだって悪いことだって、美味しくたって不味くたって、カッコ良くたってカッコ悪くたってわ可愛くたって可愛くなくたって、
なんでも「ヤバい!」ですもんね。
言葉の表現豊かな日本人らしく、また大人らしく、社会人らしく、どういう言葉で気持ちを表現しようか、考えてなるべく正しく口に出していきたいものだと、私自身も思います。
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