『私が発症に至るまで⑤発症、確定診断へ……』
さて、いよいよ発症・確定診断です。このあたりもみなさんと同じような体験談になるかと思いますので駆け足でお話します。「あー、やっぱりそんな感じなのね」、なんていう共感は得られるのかなぁと思います。
病院栄養士として社会人デビュー
まずはじめにお伝えしたいのは、この経験は身体は地獄でしたが一片の悔いもなく、本当に充実した経験で、大切な財産です。
●仕事をはじめてから
ワーカーホリックでしたね……もともとそういう気質ではありましたが、決定的なものでした。
仕事というものは例外なく、責任を伴い、責任感を持って従事するものです。そんな社会ですが医療の現場というのはまた少し責任の種類が違いものと思っています。なにしろ、患者さんの生命に関わりますからね。
私が現役だった当時は、『チーム医療』が一般的にも周知されるようになった頃で、私の病院でも力を入れていました。
各専門科から、毎回課題をだし、チームみんなで違う畑の勉強をする勉強会があり、看護士、介護士、言語聴覚士、内科、外科、精神科、そして栄養科、それぞれ交代で他の専門科の仲間たちへ講習を開くというものです。
これはほとんどの病院が実行していることでしょう。
よく、栄養士というのは一般人から舐められがちなのですが、それは『料理作ってるだけでしょ?』と思われてるから。
しかし、病態栄養食はお薬と同義で治療で医療です。そして私たちは絶えず勉強を繰り返しているのです。
少し話が逸れましたが、私は療養型病棟の担当でもありました。
療養型病棟というとは、ありていにいうと病院がもってる特別養護老人ホームですね。
胃ろうや点滴などの医療行為ができる施設、病棟です。
ハッキリ言ってビギナーの私には荷が重い役割です。
その当時の勤務時間は、朝5時から夜22時、月の休みは3日程度でした。
ブラックそのものですね。でも、医療の現場ってそんなもん。患者さんはいつどうなるかわからないコンディションで入院してるわけですから、これも医療従事者の務めで、修行です。このオーバーワークになんの疑問も覚えませんでした。覚悟の上でしたしね。
●さて、そんな仕事をしながら体調のほうはといいますと、はい、加速度的に悪化です。
慢性的な睡眠不足と疲労の蓄積は深刻化し、ゴリゴリと体重は減少し、誰がどうみても要診断ってレベル。そして再び猛烈な腹痛と下痢が。やはり、痛いのは胃でしたね。
その痛みたるや、それまでで最大値を更新。
発熱も絶えず38℃以上ありました。
そういえばこの時期、病院のなにか?で骨密度を検査することがあって、そのときの骨密度はなんと81%。既にかなり怪しい数値。
骨折や故障が多かったのも、そういうことなんですね。体格は仕上がっていた、と思っていたけど、見た目だこのことで、骨密度は低く、骨質、筋質、いずれも弱く、脆いものだったんですね。
また、毎年感染していたインフルエンザ。病院での仕事なので毎年予防接種を受けていましまたが、毎回、注射から30分以内に感染症状でちゃってタミフル飲むハメになったので、予防接種禁止となりました。
そんなこんなな身体。体調不良が酷く仕事に支障があるので、このステージにきてやっと受診をしました。
●はじめは近所の消化器のクリニックへ。胃カメラもやりましたが問題はみられず。血液検査も問題ない、と。いやないわけないだろうというのが今思うとってところではありますが、とにかく異常は診られなかったのです。
処方された胃薬を常に飲みながら、解熱剤だけは使わずになんとか仕事を続ける日々。
・そしてついに最大の特徴である痔瘻ができました。当時はまだ痔瘻とは診断されませんでしたが。
肛門と隣接するように、親指大くらいのしこりができて、猛烈に痛い。
寝ても座っても立っても痛いし、トイレのたびに飛び上がるほどの激痛。
ここで、クリニックではなく自分の総合病院の消化器科を受診しました。
診てくれたのは消化器科の部長。
しかし、診断の結果はなんと、
『なんだかわからないけど、痔ではない』
おい!!ですよね。処方されたのは痔の薬のみ。当然のこと、改善はみられませんでした。
後に現在の主治医に問診時に当時の話をしたところ、『誤診』と。
まだ診断かできる病院や医師が少なかった当時とはいえ、痔瘻は決定的に違う、と。ここで異常と認識されなかったのはおかしいと言っていました。
●この頃からまた違った変化として『おならの臭い』
とにかく臭い!!けど、その臭いの種類が、およそ『おなら』ではない、と思うほど、普通ではない、異質。
とにかく臭いけどこの臭いがおならだと気付くヒトはいるだろうか?
と思うほどに変な異臭で、似た類いがなくてたとえようがないのですが、『悪いもの』だという認識は確かでしたね。
●熱は39℃が続くようになり、頭を動かしただけで目の前が真っ白になる貧血。そして動悸、息切れ。もはや同僚たちも、
『マズイマズイマズイ!!』
『絶対なんかある!!』
そう言われていましたが仕事を続けておりました。中間管理職、そうは休めません。
ぜぇぜぇと息を切らし、貧血でふらつきながらも仕事を続け、
腹痛の程度は、『ペンチでつまんでひねって引っ張り出される』ような、鋭い痛みと、内臓がまるで外へ出ようとしてるような痛みで、お腹をさするということはなく、『お腹をグーっと力で抑えつける』ように目一杯押してました。
夜間の発熱は40℃。夜中に汗びっしょりになって、汗が冷えて目が覚めて、ババっと脱いでバスタオルを巻いて布団に戻る、そんな日々を続けていました。
しかし、とうとう、倒れました。正確には倒れる寸前で座り込み、動けなくなりました。
それを見て上司から命令。
『当面、無期限休暇!しっかり診察受けて原因を特定して治療してきなさい!』
そうして私は一時、実家に帰りました。
●地元には有名な胃専門のクリニックがありました。ひとまずはそこへ受診。すぐに胃カメラと血液検査できるとなりました。
胃カメラの結果としてはやはり問題はなし。ついでにピロリ菌もなし。しかし、先生は異常に気付きました。
『炎症反応が異常に高くて、ヘモグロビン値が普通なら立っていられないほど低い』
『見えないどこかで出血を伴う強い炎症がある』
『虫垂炎、あるいは肺炎か、結核か、最悪癌か』
『今すぐ診断書を書くから今すぐこの足でこの病院に行ってください』
確か、炎症反応は20を超えてましたし、ヘモグロビン値は7しかありませんでした。
さすがの私も、「やべぇやつか……」と恐怖を感じたものです。
状況が状況なので電話で母を呼び、一緒に紹介された地元の総合病院へ行きました。
待つこと3時間。消化器科の部長の診察で、問診で初めてこの言葉がでてきます。
『クローン病か、あるいは潰瘍性大腸炎の疑いが強い』
と。
実のところ、当時は栄養士としてもIBDのことは詳しくはありませんでした。まだ当時は学校でもほとんど触れなかった難病です。勤めていた総合病院でも、稀にクローン病の入院があって、エレンタールを溶解して提供するくらいで、自分がクローン病である可能性は想起されていませんでした。
・そこからはあらゆる検査予約をして、外来で検査の繰り返し。
最後に行った検査は大腸内視鏡検査。
このとき、腸管洗浄剤のニフレックは吐くわ腹痛はあるわ頭痛はあるわでとにかく辛くて、やっと腸管が綺麗になって検査がはじまったら、肛門からしてもうカメラが入らない。
激痛、という言葉では足りないほど。痛みのショックで意識が飛びそうになるほどでした。
急遽として麻薬系の麻酔で完全に意識を落として検査をしました。
・検査後、おぼろごな意識の中で告げられた言葉は、
『クローン病で間違いないです』
でした。確定診断です。
このとき、母は泣いていましたが、私はどこか安心をしました。
『あぁ、やっぱり私は普通ではなかったんだ』
という気持ちと同時に、
『もう、休んでもいいんだ……』
という、自分の身体を甘やかしても良い大義名分を与えられたことに、安堵したのです。
ですから、ショックというものはあまりありませんでした。
拙い文章でここまで綴ってきましたが、そう思うほどに、私のそれまでの人生は私にとっては過酷だったのです。
そうしてやっと、クローン病の治療がはじまります。
急速に悪化しはじめてからは2年でしょうか。4件目にして確定診断となりましたが、治療は、というと当時ではまた困難な話で、スマートに治療とはいきませんでした。
次回は一度、ここまでのまとめとして特徴的な体質など、箇条書きにしたいと思います。
『私が発症に至るまで⑥発症までの症状の簡単まとめ』に続きます。
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