忍耐・我慢、嫌なもんは嫌!でも・・・②

IBDの暮らしと健康
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『忍耐・我慢、嫌なもんは嫌!でも・・・②』

前回に続きまして、嫌なことへの向き合い方、付き合い方。ネガティブ思考からポジティブ思考への変容、そんなお話です。

前回挙げてきたことはすべて、みなさん言われるまでもなく頭では理解していることと思います。

ですが気持ちはまた別です。頭ではわかっていても、受け入れ難いものは受け入れ難いです。

ですが受け入れなければならないのです。それは、こうした不安や怒り、焦燥感といったストレスは、すべて最大の増悪因子ですから。

では受け入れられる人とそれが難しい人との違いはなにか?

慣れる、受け入れる、どうしたらできる??

それは、『成功体験』かと私は思っています。

 

成功体験ってたとえばなに?

一言でいえば、『治療して良かった!!』と思える結果。良かったと噛みしめられる実感。

心身大変な日常生活を送り、辛くて辛くて、とうとう入院になって、苦しい検査をして、我慢を強いられる絶食をして、点滴をずっとし続けて、たくさん薬を落として、それでもどうにもならなくて手術になって、これで解決かと思ったら術後の麻痺性イレウスになってしまったり、縫合不全で腹膜炎を起こしてしまったり、人工肛門になってしまったり。

「良かったと思えるわけがない!!」そう、思いますよね。

あえてこの言葉を使いますが、その認識が根本的に『間違っている』のです。

良かったと思えるわけがない理由、それはQOLが大きく下がったことと社会的地位が変わったからです。そして元には戻らないから。

だから良いわけがないと思うのです。

ですが、健常だった頃と比べる時点で、既に病気と向き合えていません。病気を受け入れることができていません。

もし受け入れていたら、健常だった頃と比較することなんてないんです。

難病という枠の中での比較とはわけが違います。

健常だった頃を忘れられない、健常者になりたい、そうした欲求が強めがために、いつまでも治療に消極的になってしまう、それがネガティブ思考になってしまう要因かと思います。

※性格という個性を別にした話です。

勿論、私だって治るもんなら治したいです。でも、治らないんです。

そして治療しなければ死ぬこともあるんです。

もはや健常者ではないのです。

 

難病を真に受け入れている?

通院、入院、絶食、検査、手術、どれも前向きになれる人は、難病を受け入れている人です。

受け入れられていないから、ネガティブになってしまうのです。

つまり、受け入れさえすれば、自然と治療にポジティブになれるというものと思っています。

 

私の場合

とにかく下界での生活に無理がありすぎました。オーバーワーク、激しい下痢と腹痛と痔瘻。食事もとれず、減っていく体重。延々下がることのない高熱。

私生活さえもはやままならず、何件も病院を廻り、やっとのことで確定診断となりました。そのときの状態は先生がいうにはあと1ヶ月遅かったら命はなかった、と。

確定診断されて私は、ホッとしたんです。

「やっぱり普通じゃなかったんだ……もう休んでいいんだ」

と。

幼児期から悩み苦しみ続けてきた不調。なんだかわからない不調の正体がわかった。

まずこれが1つの成功体験です。

そして私は知識で知っていました。クローン病を。だから根治できないこともわかっていました。

それは確かに将来に不安しかない辛い現実でしたが、今まさに死にそうな状態、「今を生き延びなければ明日はない」。こう思えたことも成功体験です。

治療には積極的になれました。

そして長い闘病生活で、手術→縫合不全→腹膜炎→再手術&人工肛門増設となりました。

ショックでした。自尊心がなによりヤられました。

でも、「命が助かってまだマシだった」

医学的に本当に死ぬ寸前でしたからね、命が助かったこと、なにより大きな成功体験です。

 

その後も人工肛門の閉鎖から社会復帰へ向けてアルバイトをしたり職業能力訓練を受けたり、やっとのことで障害者雇用されたものの、二度も手術となり契約を切られたり、

社会生活は順風満帆とはほど遠く、世知辛い現実しかありませんでした。

でも、心身共に辛かっただけに、病態がどんどん悪くなるにつれ、「入院したい!!」「頼むから入院させて!!」と思っていました。

入院すると安心できました。「これでもう大丈夫だ」って。

勿論その先に待っている手術の可能性は頭にありましたが、下界にいたらどうなっていたか。

もっと悪化させていたら先々どうなっていたか。恐怖しかありません。

三度の手術で短腸にもなりましたが、今でも治療には前向きで、現代医療様様です。

医療なしでは生きていけない!そう常々思います。

一見ネガティブなようですがそれが現実で、明確に医療を受け続ける意思があること。その意思が自分でハッキリとわかっている、これもまた成功体験です。

もし、いつまでも難病者であることを受け入れられず、健常者と比較することを続けていたら、どんなに優れた治療をしてもネガティブにしか捉えられなかったと思います。健常者には戻れないのだから。

 

まとめ

つまりは、ネガティブ思考をポジティブ思考へ変容させるには、最初の一歩にして一手、『難病を受け入れる』。これに尽きるのかと思います。

受け入れることさえできれば、治療の一つ一つがどれも成功体験です。

治療して良かったと思えます。

でもようは気持ちの持ちようとか考え方、マインドですので、私の場合はあくまでも私の場合。一人一人条件が違いますから同じようにできるとは限りませんし、これがすべてではありません。

ですが、自分は難病に対してどうしてもネガティブだなぁと自覚していたら、『自分は真に難病を受け入れられているのか』。見つめ直してみてください。

わかってる、知ってる、理解してる、頭ではそう思っていても、心は未だ難病を受け入れていないのかもしれません。

どうしたら受け入れられるのか。私の体験から言えることは欲を捨て、まずは医療によって命繋がっていることに感謝を。

根治はできなくても治療法はあるということに感謝を。

指定難病の助成があることに感謝を。

支えてくれている医療と家族に感謝を。

IBDは敵ではありません、ちょっとウザイ隣人です。

強い進行性で亡くなってしまう難病はいくつもあります。

IBDはきちんと治療を続けていれば現代ではIBDが直接的な死因になることはまずありません。ですからずっと付き合うウザイ隣人

それくらいに思えないと、世知辛い世の中で生きていけない、私はそう思っています。

 

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