『私が発症に至るまで④成人、就職へ』
ここからのお話はみなさんもよっっっくわかる、同じような体験になるかと思いますので駆け足でお話していきます。
再びやってきた受験、そして大学から就職に至るまでのお話になります。
高3受験期
・このとき、それまでで最大の不調でした。どんな水準かといいますと、もう一口に『クローン病の活動期・中等度以上』というくらいです。
・腹痛は猛烈な激痛、相変わらず痛いのは胃で、下腹部の痛みはありませんでした。
下血はしていたのか定かではありませんが、恐らくはあったと考えるほうが自然でしょう。
・発熱は絶えず38℃くらい。下がるときはなし。
・貧血もかなり酷かったですね。
・なにより異常だったのは『口内炎』。それはもはや口内炎とは呼べない水準でした。
口の中全体が真っ白になったんです。
粘膜が剥がれ、唾液でも舌でも口の中はザラザラとして滑りは皆無で、嚥下のたびに喉は擦れ、出血をしていました。
消化器科へはやはり受診はしませんでした。受験のストレス、そういう認識しかなったので、『異常』と認識していたのはこの口腔内のことだけでした。
総合病院の耳鼻咽喉科を受診し、鼻から挿入して喉まで見れる細いカメラで確認すると、喉のほうまで真っ白で、先生からは『原因はわからないけど粘膜潰瘍』とだけ言われ、処方されたのはビタミン剤だけでした。
中学の頃もそうですが、この時に消化器科を受診していたらもしかしたらクローン病と診断された、かも、しれません。
後に発症して確定診断されたとき、今の大学病院の先生の見解としては、『高校の頃には既に発症していたと考えられる』だそうで、「あーやっぱり……」でしたね。
・なんというか、自分自身もそうですが、親もそれほど深く気にはしていませんでしたね。
『慣れ』とは恐ろしいもので、ずっと下痢をしていると、『お腹が弱い子』という認識にしかなりませんし、元々が虚弱だったので『虚弱体質だから』と、自分たちで勝手に答えを決めてしまうのですよね。
これが良くない!
そもそもですが、本来、毎日デフォルトで下痢してるなんて、おかしいことなんです。それが普通なわけないんです。なにかが潜んでいるのです。
それは、食事が合っていなかったり、咀嚼をしないで飲み込んでいたり、早食い大食いだったり、必ずしも病気であるというわけではありませんが、下痢が続いている要因というのはあるものなんです。
虚弱体質なんて、そんなわけのわからないザックリすぎる体質で納得してちゃ、いけないことなんです。
きちんと医師による適切な診断と処方が必要に決まっているんです。
・とにかく、今の主治医の見解では高校の頃には既に、なでしたが、それを聞いたとき別段、『あの頃ちゃんと調べてたら……』というような後悔というものは覚えませんでした。
というのも、
『いつ発症するのが一番嫌?』
というテーマはSNSでもしばしば話題になりますが、学生の頃に発症した方の多くは『みんなと同じことができない』『みんなと同じ青春を送れない』そうした難を抱えてる方が多いです。
確かにそうですよね、思春期、青春真っ盛りにお友達と同じように過ごせないのはたいがいの場合は辛いことでしょう。
また、発症が小児であったのなら、給食や体育など成長にも影響があるため、その想いは一層強いことでしょう。
ですが、私はちょっと違いました。
『みんなと同じように、むしろしたくない』
そういう想いが中学高校と強かったので、発症の有無に関わらずあまり周りと同じようになんて考えてなかったし行動もしてなかったし、というよりは既に『自分の身体は普通ではないんじゃないか?』という疑問がとても強かったので、距離や壁は感じていましたし、でもそれを嫌とも思っていませんでした。
矛盾ですね。
自分で自分のことをおかしいと思いながらも、たいして気にはしていなかった、勝手に自分の身体はおかしいのだと決めつけ、それが確かなものであるか診断という確認もとらずに、納得していました。
まぁ、高校生なんてそんなもんなのかもしれませんけれども。
いずれにせよ、良くも悪くも私はソロ気質で、ある意味、高校生活ではこの性分には救われていましたし、これは今でも変わらない部分です。
・そんな体調の中でも、精神性というのは既に今と相違ないほどでした。
武道のおかげもあって、メンタルは強かったです。ストレスには身体は弱くとも、心を病むことはありませんでした。
主治医の見解からも、恐らくはクローン病によるリウマチ様症状かと思われる関節炎や筋肉炎もありましたが、これもそれほど気にはしていませんでした。
『たかが熱があるだけ、たかがあちこち痛いだけ。食えないのだけは難だけど』
そんな程度です。
武道をやってれば骨折もするし腱鞘炎にもなるし皮膚は割れるし足底筋膜炎にもなるし、そんなこと日常茶飯事。そんな状態でも稽古を続ける、それが当たり前でしたから、これだけ体調が悪くとも、『ええい、うっとうしい!不便だ!』くらいなもんしか気持ち的にはなかったです。
それに、幼い頃から言われ続けてきた『情けない』、『不様』など、そうした言葉は傷つく言葉ではありましたが、嫌々でも続けていた甲斐はあったというものです。
常に自分に鞭を打ち続けた人生、自分で自分はおかしいと思っていたから、『こんな身体でもやり続けて、成してきている』という自負は生まれていました。
一口に気合いが違う。どれだけ不調でも、身体を甘やかすことはなかったです。
ここで、なんで?どうなってんの?怖い……と、めそめそすることはなかった。
色々と起伏のあった高校3年間、それでも気合いで3年連続で皆勤賞でした。これもまた自信に繋がる成果です。
精神衛生は良くとも、異常と感じていながらもきちんと受診をしなかった最大の要因はここにあるのかもしれません。
しかし、心の強さは良い持ち味ではありますが、早期発見には至らないのでデメリットも大きいですね。
そしてこんな高校生活を過ごし、無事に進学を果たします。
大学時代
・大学では受験期とはうって変わって、中学の元気だった頃に戻ったかのように、まるで寛解期といえるほどの絶好調でした。
その好調ぶりは、それまで生きてきた中で最大で、体重も増え、筋肉はバッキバキにつき、腹筋さえ割れて理想的なアスリート体型へ。
・身体を動かすことが楽しくてしょーがなかったですね。
部活は幸いにも合気道部があったので、忙しい学生生活の中でもしっかり稽古は積めました。
気合い×栄養状態×稽古=最強です。これまで培ってきたものがすべて噛み合っていた唯一の時期といえるでしょう。
・関節炎は毎日、痛いところが歩くように、痛い部位は代わる代わる、絶えずありましたが、動けないはどではありませんし、殊更気にもしていませんでした。
・睡眠に至っては、もう、どうにもならないし気にもしない。寝ないでいましたね。当然、疲労は溜まりますが、気合いと若さ故の無茶な生活ですね。
・しかし、絶好調の時分でも変わらないのは夏への弱さ。夏だけはやはり熱中症気味がずっとで、食事もとれないので体重はそのときは下がってしまってましたね。
ですが、お腹の調子はそう悪いものでもなく、あまり下痢もしませんでしたし、腹痛も極端に頻度は減り、口内炎さえほとんどできませんでした。まさに寛解のよう。
意外なことに就活中もそれほど体調は悪くはならなかったです。腹痛や関節炎は増えましたが、受験期のような酷さには及んでませんでしたね。
そして病院栄養士として就職。この社会人デビューしてからが、いよいよクローン病確定診断へ至るまっしぐらコースです。
『私が発症に至るまで⑤発症、確定診断へ……』に続きます。
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