伝え方と捉え方と向き合い方

IBDの暮らしと健康
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こちらのカテゴリーにそぐわないかもしれませんが、他に都合の良いカテゴリーもないのでこちらでお話したいと思います。

難病に限らず、当人にしかわからない、感情や境遇というのは誰にでもあるものです。

そうした当人だけしか持ち得ないなにかを、他者へ伝えるとき、どのように話したら伝わるでしょうか。

とりわけ、メディアで取り上げる場合、とてもデリケートに扱うべき事柄だと私は思っています。

伝え方と捉え方の難しさ。誤解や語弊を招くことが少なからず、いえ多々ある、そんなお話です。

 

私が当サイトで意識していること

これは少し神経質なお話になります。

カテゴリー『内科治療』の『食事について予め一言』を既に読まれてる方にはわかるかと思いますが、ブログというものは伝える側読み手(受けとめる)側がいます。

伝える側というのは読み手がどのように捉えるか、自分の記事がどんな影響を与えるか、そんなことを常に頭に置きながら言葉選びや表現方法を考えてなければならないと、私個人はそう思っています。

勿論、自分のブログなので自分の好きにやっていいというのも正しいですが、取り扱ってる話題が難病のお話となると、私はいつもより少し慎重になります。

(※IBDと関係ない他の話題のカテゴリに関してはとくになんにも考えておりません)

今回は私が実際に観て感じた1つの例で、伝えることと捉えることの難しさ、その重要性と難病との向き合い方について、主観ですが語りたいと思います。

 

たとえばこんな番組がありました

これは私が発症してしばらく経った当時、もう10年以上は前のことです。

まだガラケーが主流で今ほどネット社会化が進んでなく、テレビと書籍で情報を得ることが主流だった時代。

難病についての情報はなかなか得られず、難病者本人たちは当時新しかったSNSの投稿や患者会へ足を運んで情報交換したり、わかりやすい本を探しては勉強して難病と付き合っていく方法を模索していました。

かたや健常者は、仕方のないことですが当然のこと知識は全然ありません。テレビで難病がピックアップされることも少なかったですし、その情報量も少なかったです。知識を得るキッカケさえない以上、理解を深めるなんてことが容易くできることではない時代。

 

そんな頃、様々な難病について勉強中だった私は、知り合いに勧められてある深夜の特番を観ました。

その番組は『筋ジストロフィー』という、筋肉が硬くなっていくという難病を持つ患者さんのドキュメンタリー番組でした。

この難病は複数の難病を併発しやすい傾向があるとくに厳しい病気です。

その患者さんもまた、3つの難病を併発していました。

番組は『この難病を持つ患者さん本人の友達だというディレクター自らがカメラを担いで1日に密着するという内容』でした。

 

患者さんには奥さんとまだ赤ちゃんの子供がいて、実家の電気工事の肉体労働していました。

ご両親は難病だからといって息子を特別扱いしないで普通の人と同じようにさせることに重きを置いてて、それが社会で生きるということ、障がい者のレッテルを払拭するために必要なこと、健常者との違いなんかないのだと自ら証明させることで自尊心を保とうという、そういう気持ちあっての息子との関わり方でした。

本人もそう思ってて、一生懸命に仕事に励んでいました。

痛くても辛くても、絶対に弱音を吐かないことを心に決めていて、本当に弱音を吐かずに、息も絶え絶えで激痛に顔を歪めながらも休むことなく努めていました。

ですが、筋ジストロフィーは筋肉が硬直していく進行性の難病のため、心不全を起こしやすく、医師には厳しい運動制限かけられていました。

しかし、毎日の肉体労働をして、加えて毎晩10kmものランニングしていたのです。

その理由が、「こうしてないと難病に押し潰されそう」と。

そしてディレクターの語りは、「こうして難病と戦っている彼に我々はなにができるだろうか

そうした内容の番組でした。

 

私が感じた実直な気持ち

このテレビ番組のお話から私がなにが言いたいかといいますと、この番組を観て難病者は、健常者は、何をどう感じたであろうか、その疑問です。

私個人の感想としましては、気分が良いものではありませんでした。励みにもなりません、それどころか憤りさえ感じました。

私からみて、『難病と戦ってない!』、『向き合ってない!』そう感じたからです。勿論私の主観ではありますけど。

いくら私がクローン病という難病を抱えていても、彼の気持ちがすべてわかるわけではありません。彼にしかわからない苦悩がたくさんあることでしょう。

たとえまっまく同じ病であったとしても、人間が違い、環境が違い、なにもかもが同一とは言い難く、やはり一人一人感じることは違うもので、当の本人しか持ち得ないそのヒトだけの気持ちです。

それは確かな事実かと思います。ですが、激しい運動をしたら死んでしまうのに、一体なにをしてるんだろう。奥さんも子供もいるのに。

ご家族もどこをどう難病の理解をしているのか、私にはまったくわかりませんでした。

死期を早めることを促進しているなんて、その考え方が理解できません。

なにより、テレビもテレビで、『まるでこれが難病と戦うということ』といわんばかりの空気の番組構成と語り。

観た人はきっとこう言います、

あんなにがんばってる人もいるんだよ!?

あなたももっとできるでしょう!?

甘えてないで頑張んなよ!

難病者が日頃から理解ない健常者に言われ続けていることです。そこへこうした番組はその叱咤に拍車をかけてしまいかねない。

難病との向き合い方は患者さんそれぞれで、どういう選択をしようと患者さん本人の自由です。

ですが、この闘い方はどうしても正しいとは私には思えませんでした。

『一生懸命』であること、それは紛うことない事実で、立派なことだと尊敬します。けれども方向性が間違っていると私は思いました。

またメディアが与える影響の大きさも難しいものです。

ターゲットは健常者の方へ向けた番組だったと思います。健常者のディレクターの語りがそう感じました。

ディレクターが健常者に向けて作った番組ということは確かかと思いますが、『じゃあこの番組はなにを伝えたかったの?』というと、おそらく『難病と戦っている人が世界にはたくさんいる』ということを、1人の難病者のケースをドキュメンタリーで見せることでうったえ、ハンディキャップを抱える人たちのことを視聴者に考えてほしかったのではないかと思います。

しかし、番組を観た健常者は、難病への理解を深めることができたでしょうか?

わかりません。感じ方も人それぞれですし、観点も価値観も違います。

ですが、

「テレビでみた」「誰々から聞いた」「新聞でみた」

そうした情報から難病の知識を得て、難病者と接することに変わりはありません。

 

誤解され、比較され、叱咤され続ける難病者たち

私たちはいつも言われます、

これだけ偉業を成した人だっているんだから、あなたにもできるはず」といった叱咤激励。

健常者の方々は励ましているつもりだったり、応援しているつもりだったり、悪意あってのことでないことはわかっていますが、

彼らが見ているのは『目の前の難病者本人』ではなく『知らないどこかの難病者』です。

本人の症状の程度はおろかどんな病気なのかさえ理解していないのに、知らない誰かを引き合いに出して言われても、傷つくだけです。

 

難病と向き合うということ、難病者と健常者。立ち止まって考えよう

今、この現代の情報化社会ではあらゆる情報が簡単に手に入ります。

その情報をどう咀嚼し自分の知識にするかは本人次第です。

ですが、『何のために調べているのか』、患者側も健常者側も一度立ち止まって考えてみてほしいと思います。

今の努力は、誰の為でしょうか?何のためでしょうか?

見るべきものは正しいでしょうか?見るべき相手は正しいでしょうか?

 

誰もが時折でいいから見つめ直し、向き合い方、付き合い方について繰り返し考えを修正していくことが、『ずっと付き合っていくこと』なのではないかと、私は思います。

 

主観で失礼しました。このお話はこれにて終わりです。

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